第13回 衝撃の三択クイズ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

きょうは,まずみなさんの実力を試しましょう。한글(ハングル)に関するクイズです。

Q ハングルという言葉を考案したのは誰でしょうか。
(a)세종대왕(世宗大王)
(b)주시경(周時經)
(c)최현배(崔鉉培)

ハングルと言えば(a)の世宗大王!?……,いや,そうは問屋は卸しません。ええっ!?じゃあ誰なんですか?これからそのお話をします。

세종대왕 상(世宗大王像)덕수궁(徳寿宮)

덕수궁(徳寿宮)に建つ
세종대왕 상(世宗大王像)

世宗大王は1443年に学者たちを使ってこの文字を創案し,1446年に公布しました。1443(人よ読み),1446(人よ読む)と覚えておくといいでしょう。1492年が「いよー,国だ!」で,コロンブスのアメリカ大陸発見(콜럼버스의 아메리카 대륙 발견)の年ですから,それよりも50年ほど前の話です。

しかしハングルの歴史は平坦ではなかったのです。男子が用いる漢字に対して,ハングルは婦女子が用いる字という意味の암클(アムクル)とも呼ばれ,当初は蔑まれました(*암클は正しくは암글。암は「めす(雌)」という意味)。また非公式な民間の文字として언문(諺文)とも呼ばれていました。李朝時代には漢字で書かれた한문(漢文)が公式の文章とされ,当時の양반(両班)と呼ばれた知識人たちは,朝鮮語で話しながら,中国の古典語である漢字で文を書いていたのです。

この文字ができる前は이두(吏讀)という,漢字を利用した日本の万葉がなのような不十分な表現が行われていましたが,ハングルによって初めて朝鮮語を細部まで表現できるようになったのです。それなのに朝鮮語の権力中枢の両班階層は,難解な漢字の世界を重視し,ハングルを徹底的に差別しました。

この文字は,公布当時はハングルという名前ではなく,훈민정음(訓民正音)という名前でした。「民衆に教える正しい音」という意味です。大王は,ハングルの普及に優秀な学者たちを動員して,国家的事業として政治力を発揮したのですが,大王の死後は政争が続き,ハングル創制に参加した学者たちは次々と失脚してしまいます。また,儒教国家の事大主義的な保守派の猛烈な反対で,なんとハングルが再活性したのは,19世紀後半なのです。

1896年にハングルの新聞「독립신문(獨立新聞)」が創刊され,民俗の文字ハングルがよみがえったのです。しかしその後の日本帝国主義による日韓併合は,再び民族の魂を奪ってしまいます。この日本植民政策に対抗して民族の文字を打ち立てたのが,주시경(周時經)(1876~1914)で,39歳で急逝した彼こそが「ハングル」という呼び名の命名者なのです。

ハングルとは「大いなる文字」,「偉大な文字」,「真の文字」という意味です。すてきな命名です。

1910年に朝鮮が日本の植民地となった後も,彼は正しい国語に民族の魂がやどることを信じ,友人たちが植民地政策に荷担していく中でも,最後まで志操を曲げず奮闘を続けて短い一生を終えたのです。その後,1920年代には周時經の後継者である최현배(崔鉉培)たちが精力的に民族の魂としてハングルを普及させていきました。崔鉉培は,独自の用語による音頭学,詞論,文章論なとを確立させた国語学者です。

そして1920年には民族主義の「동아일보(東亞日報)」が刊行されます。しかし日本の植民地政策はハングルを弾圧し,1039年にはハングル新聞を無差別発刊し,学校教材から韓国語を追放します。1942年には,治安維持持法違反で朝鮮語学会会員を検挙しています。そして1945年。日本敗戦です。

韓流ブームといわれるようになって久しいですが,ハングルのこのような歴史を知って言葉を勉強するとさらに興味がわいてくるでしょう。

韓国語翻訳のお問い合わせはインターブックスにどうぞ

それぞれの国の事情を理解したネイティブ翻訳者が翻訳を担当いたします。
韓国語DTPにも対応いたします。
電話番号 03-5212-4652
お問合せはこちら

関連する記事