第68回 漢文

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日本で中学・高校時代を過ごした皆さんは、国語の授業の時に「漢文」を習ったことと思います。得意でしたか?

僕は今こうやって中国語で飯を食っているわけですから、よく「漢文は得意だったのでしょうね〜?」と尋ねられるのですが、実は実は、大の苦手でした(笑)。

返り点と振り仮名付きの漢文なら何とか読み下せるのですが、意味ははっきり分からないし、そもそもなぜ漢字の読む順番を変えて無理矢理読むのか、その意図が分かっていませんでした(苦笑)。

今、現代中国語をある程度読めるようになってから漢文を見ると、なるほど何故レ点とか一二点を使って漢字をひっくり返して読むのかが分かるようになりました。今なら高校の漢文の授業も楽しく受けられるかもしれません。

返り点を見ていると、なるほどこの文はこういう構造なのか、とか、こういうふうに返り点をつけているということは漢文ではこの字が動詞になるのか〜、というような発見があります。なかなか面白いです。たとえば:

縁木求魚。(孟子、梁恵王上)

この文は返り点をつけると

縁(レ)木求(レ)魚。
木に縁りて魚を求む(木によじ登って魚を探し求める)

つまり、「縁」が動詞で「木」が目的語、「求」が動詞で「魚」が目的語になっているのがよく分かりますね。

春眠不覚暁(「春暁」孟浩然)

返り点をつけると

春眠不(レ)覚(レ)暁
春眠暁を覚えず

「覚」が動詞で「暁」が目的語だと分かりますね。英語と同じで「動詞-目的語」の語順になっているのだということがよく見えてきます。

さてところで、漢文の返り点や読み癖は一様ではないようです。人によって解釈が違ったりする部分もあるようです。

鎌倉時代に浄土宗を開いた法然というお坊さんをご存知でしょうか。日本史で習うようなので覚えている人もいるでしょうね。このお坊さんが亡くなる2日前にしたためた文章があります。一枚起請文(いちまいきしょうもん)というのですが、この中に1文だけ漢文が含まれています。

為證以両手印

この文を自分が書いたということを証明するために、両手の手形を押します。(意訳)

以前にもお話したかもしれませんが、僕の実家はお寺です。浄土宗鎮西派なのですが、鎮西派ではこう読み下します。

為(レ)證以(2)両手印(1)
證のために両手印を以ってす。

つまり、「以両手印」の部分は「以」+「両手印」という構造とされており、「以」が動詞で「両手印」が目的語という解釈になっているわけですね。

「以」+「両手印」
(動詞)+(目的語)
(両手印を以ってす)

でも、中国語を勉強し始めてからこの文を見ると、どうも何か違和感を覚えるようになったのです。というのは、「以」というのは中国語としてはふつう前置詞(介詞)です。中国語の文法として考えると、

(前置詞句)+(動詞句)

という語順が一番普通だと思うのです。

「以」を前置詞と考えると「以両手印」は前置詞句ということになるので、その後に何か動詞が来ないと座りが悪いわけです。

「以」が動詞になることは、現代語ではあまりないと思いますが、漢文ではあるようです。だからこの解釈が絶対に間違いだとは思わないのですが、次のように解釈した方が自然ではないかなぁと思うのです。つまり:

為(レ)證以(2)両手(1)印
證のために両手を以って印す。

つまり、「印」を動詞だと考えるのですね。

「以+両手」+「印」
(前置詞句)+(動詞)
(両手を以って印す)

こう考えると、「(前置詞句)+(動詞)」となって、中国語の語順として非常に自然ではないかと思うのです。

そうじゃないのかな〜〜〜?と長年思っていたのですが、先日たまたま浄土宗西山派の法要を垣間見る機会がありました。同じ浄土宗ですが鎮西派とはちょっとお経の読み方が違ったりするので、興味深く聞いていました。丁度「一枚起請文」を唱えているところだったのですが、なんと彼らはこの問題の1文を「證のために両手を以って印す。」と唱えていたのです!

わが意を得たり!!!

嬉しかったですねぇ(笑)。

まぁ、どちらでも意味は変わらないのですがね。

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