第44回 無

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ご存知の通り、僕は通訳や翻訳をしているのですが、通訳する時は「日→中」が得意で、翻訳する時は「中→日」が得意です(笑)。

通訳では、聞き取るのがまず第一の作業ですから、聞き取りにほぼ不安のない日本語を聞いて、中国語に訳すのが楽です。反対に翻訳は目に見える形で残ってしまいますので、「日→中」だと不安で不安でたまりません(笑)。

平安時代等に日本人によって書かれた漢文、実は時々文法的に間違っているという話を聞いたことがあります。恐ろしいですね。1000年たっても間違ったまま残ってしまうのですから!

さてところで、日本語の二字熟語の中で、前の字が否定の言葉になっている熟語があります。例えば:

  • 未知
  • 不治
  • 非常
  • 無理

僕は以前、学習塾の先生をしていたのですが、その時こういったことも教えた覚えがあります。大体否定の言葉はこの4つというふうに教えていました。つまり、「未」「不」「非」「無」です。

同じ否定の言葉でも、それぞれ少し違いますよね?

「未」は「まだ〜ない」という意味です。これは現代中国語でも、ちょっとお堅い場面ではよく使う言葉です。口語では「没有méi yŏu」と同じですね。例えば:

还未决定(hái wèi jué dìng)≒ 还没有决定(hái méi yŏu jué dìng)
(まだ決定していない)

「不」は一般的な否定の言葉です。現代中国語でも普通に出てくる否定の言葉ですから、皆さんもよくご存知ですよね?

「非」は「〜にあらず」ということですから、現代風(?)に言うと「〜ではない」という否定の仕方です。例の「非常」は「常の状態ではない」ということですね。現代中国語では、単語の中や四字熟語などによく使われていますが、「不」のように単独で否定の言葉になることはないようです。

「無」はお分かりの通り「無い」という意味です。例の「無理」は「理が無い」ということです。

さて、前置きが長くてすみません(笑)。ここで思い出すのは「無我」という言葉です。

「無我」というのは「無我夢中」という言葉でよく使いますが、元々は仏教用語です。

仏教用語ですから、元の言葉はサンスクリットで「anātman」と言い、「an」が否定の言葉「〜でない」で「ātman」が「我」に当たる言葉です。

この辺の解釈はややこしいので省くとして(笑)、言葉の意味をきちんと考えて訳すなら「無我」ではなく「非我」のはずです。(実際に「非我」という訳語も出てくるようです。)

哲学的に間違っているかどうかはさておき、翻訳としては「無我」は間違っているように思いますねぇ。とても不思議な存在です。もしかしたら、訳したのは中国人ではないのかもしれませんね。

もう1つ思い出すのは「無洗米」です。

最近、お米を炊く時に洗わなくてもいいお米が登場しましたよね?便利だし、洗わないので栄養が流れてしまわないから栄養価も高いとか、とぎ汁を流さないので環境にも優しいとか、洗う水を使わないので経済的だとか、そんなような話を聞いたことがあります。そして、誰がつけたのか、「無洗米」と呼ばれていますね。

しかし、この言葉、それでいいのですか?

「無」は「〜無い」という意味ですよね?「無洗米」だと「洗った米が無い」というような意味になってしまいませんか?なぜ「無」なのでしょうか。

「洗わないでもいい米」という意味を出すのであれば「不洗米」等とするべきではないかなぁと、常々思っている伊藤祥雄です。

意地悪ですかね(笑)。

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