第35回 三国志2

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今日も三国志ネタで行きます(笑)。

いきなり余談ですが、僕の学生時代の先生で三国志に全く興味のない人がいました。いつだったか、ある学生がその先生に、何を言おうと思ったのか知りませんが「三国志…」と言いかけたところ、そのとたんに先生が「読んだの?つまらなかっただろ?」と言ったのです。

いやぁ、ショックでしたね。尊敬する大先生ではありましたが、この先生とはやっていけないかもしれないと思ったものです(冗談です…笑)。

このメルマガを読んでくださっている人の中にも、三国志なんて興味ないのに、と思っている人がきっといらっしゃるでしょうから、あまり薀蓄を垂れすぎないようにして、できるだけ使える表現、もしくは日本語に入っている表現などを紹介するようにします。

初出茅庐

chū chū máo lú
初めて世に出ること、駆け出しであることを言います。

前回のメルマガで、「三顾茅庐」(三顧の礼)を紹介しましたが、「初出茅庐」も似ています。
但し、「三顾茅庐」は劉備(刘备liú bèi)の行動であったのに対し、「初出茅庐」は諸葛孔明(诸葛孔明zhū gě kŏng míng)の行動です。

備が三顧の礼を尽くして諸葛孔明に出廬を促し、それに感動して孔明が廬(いおり)を出るのですね。廬を出るとはどういうことか。すなわち、世の中に出て行くことです。

孔明は、大きな才能を持ちながらも、特に誰に仕官することもなく、約10年ほど隆中というところで隠遁生活を送っていたと言われています。その孔明が劉備に仕えることを決意し、廬を出る決心をしたのです。その期待と不安に満ちた気持ち、皆さんにもきっと経験があると思います。「初出茅庐」とはそんな状態を表す四字成語なのですね。

例えばこんな風に使います。

他是一个初出茅庐的医生。

tā shì yí ge chū chū máo lú de yī shēng
彼は駆け出しの医者だ。

水を得た魚のよう

これは日本語でもよく使いますね。日本語では、活躍の場を得て生き生きとしている様を言います。

中国語ではこう言います。

如魚得水ru2 yu2 de2 shui3

但しちょっと日本語の「水を得た魚のよう」というのとはニュアンスがずれているように感じます。中国語では「自分と意気投合できる人物に会った」というような感じです。

この言葉も三国志から出ました。

諸葛孔明を得てからしばらくの間、劉備はいつもいつも孔明と一緒に行動していたようです。食事や散歩はもとより、就寝まで一緒だったとか(笑)。

たかだか30歳ちょっと手前の若僧に主君を取られた形となった武将たちは、面白くありません。
特に劉備と義兄弟の契りを結んでいる関羽(关羽guān yŭ)と張飛(张飞zhāng fēi)は、嫉妬に似た感情を抱いてしまい(笑)、劉備に詰め寄るのです。

「兄貴、なんであんな若僧とイチャイチャしてるんですか!」

と言ったかどうか知りませんが(笑)、問い詰めたのです。すると劉備の言うことには、「私が孔明を得たことは、魚が水を得たようなものなのだ。ちょっとしばらく見逃してよね。」

最後の部分は冗談ですが、「魚が水を得たようなものだ」と言ったのはどうやら本当のようです。つまり、劉備という「魚」が今まで水のない状態でいたところに、孔明という「水」を手に入れた、ということです。それほどまでに孔明を得たことは嬉しかったのでしょう。

ちなみに、劉備と孔明のような親密な関係を日本語でも「水魚の交わり」と言ったりしますが、これと同じような四字成語が中国語にもあります。

鱼水之交

yú shuĭ zhī jiāo

「魚」と「水」が中国語と日本語では反対に並んでいますね。中国語ではしっかり声調順に並んでいます(「胃腸薬?腸胃薬?」参照)。日本語ではなぜ反対になったのでしょうねぇ。

阿斗

ā dŏu
この言葉を見てピンと来る人は、相当な三国志ファンでしょうね。
これは劉備の息子の名前です。劉備の息子は、劉禅(刘禅liú chán)と言いますが、阿斗とは幼名です。母親がこの子を身ごもった時に北斗七星の夢を見たということでつけられた名前らしいですね。

ただ、劉禅は、とても劉備の子とは思えない、普通の人だったようです。一般庶民として生まれてきたら、多分普通の人で終わったのでしょうけど、英雄の息子として生まれてしまったのが彼の不幸。今では彼は無能の代名詞となってしまいました。

「阿斗」とは、まさに「無能者、アホ」という意味で使われます。たとえば:

他把我看成阿斗。

tā bă wŏ kàn chéng ā dŏu
彼は私をバカとみなしている。

この阿斗という人、本当にお気楽な人だったと見えます。劉備が苦労して作った蜀の国が滅びたあと、彼は殺されることなく幽州の安楽県の安楽公に封じられ、生涯安楽に(笑)暮らしたのですが、ある時宴会で「蜀の国が懐かしくなったりはしませんか?」と問われ、「いやいや、ここは楽しい。蜀を思い出すことなどありませんね」と能天気なことを言ったと伝えられています。その話は四字成語となって今でも「楽しさのあまり帰るのを忘れる」という意味で使われています。

乐不思蜀

lè bù sī shŭ

後世に名を残したいとは僕も思いますが、こんな残し方はしたくないものですねぇ。

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