第14回 谢谢

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中国語を始めてまず習うのは、簡単な挨拶言葉でしたよね。「你好nĭ hăo こんにちは」とか「对不起duì bu qĭ ごめんなさい」とか「谢谢xiè xie ありがとう」とか…。

最初は音を真似して漢字を覚えるだけですが、学習が進むにつれて、あの挨拶言葉がどうしてこういう意味になるのか、ということが見えてきます。それもまた語学を学習する楽しみの一つです。

「你好」は主語+述語の形をしているんだな、とか、
「对不起」は可能補語の形をしているな、とか、
「谢谢」は動詞の重ね型なんだな、とか。

ところで、動詞の重ね型はどんな意味を表すと習いましたか?

一般には、「ちょっと〜〜してみる」という意味ですよね。しかし、「谢谢」はどうでしょうか。「ちょっと感謝してみる」という意味でしょうか。人に「ありがとう」というのに「ちょっと感謝してます」というのでは、ふざけていますよね(笑)。

ですから、僕は、動詞の重ね型って必ずしも「ちょっと〜〜してみる」という意味ではないような気がしています。今日は、必ずしも「ちょっと〜〜してみる」という意味ではないような例を示して、皆さんにも考えていただきたいと思います。

まずは、なぜ「ちょっと〜〜してみる」という意味になるのか、整理しておきましょう。

例えば「看kàn(見る)」を例にとると、「看看」というのは、間に「一」が省略されていると見ることが出来ます。実際に「看一看」という表現も見られます。

「看一看」の後のほうの「看」は、「見る」という動作の回数を数える単位と考えることができます。つまり「看」という動作を一回やる、ということですね。

動作の回数を数える単位というと、「下xià」というのもありますね。つまり「看一下」と言ってもよく似た意味になると思われます。

看一看 ≒ 看一下

一回というのはもちろん比喩で、つまりは「ちょっと見てみる」という意味になるというわけです。

しかし、僕は以前、ある日本人のことを紹介するドキュメンタリーの字幕翻訳をしたことがありますが、その中のナレーションに次のような文が出てきました。

●●先生每次来到北京,都喜欢到这里走一走、看一看。

●●xiān sheng měi cì lái dào Běi jīng, dōu xĭ huan dào zhè li zŏu yi zŏu, kànyikàn

●●さんは北京に来るたびに、ここに来て歩いてみたり眺めてみたりするのが好きです。
●●さんにとって「ここ」とは、ある意味思い出の場所なのです。そこで色々なことに思いを馳せたりするわけです。恐らく思いを馳せつつブラブラと歩いたり立ち止まっては何かを眺めたりするのだと思います。

ここの「走一走、看一看」は、どう考えても軽い意味とは思えません。僕はまさに、「ちょっと歩いて、ふと立ち止まって、また歩いて…、ちょっと見て、沈思黙考して、また見て」という情景が、この表現だけで鮮やかに見えてくるような気がしたのです。これを「走一下、看一下」と言い換えることは、文法的にはOKかもしれませんが、元の文のような雰囲気は醸し出せないと思います。

文法的には二回目の「走」や「看」が回数を数える単位であったとしても、実際には

「走」(歩く)→「一」(ちょっと動きストップ)→「走」(歩く)

「看」(見る)→「一」(沈思黙考)→「看」(見る)

という一連の動きを表しているようにも思うのです。

僕はこの中国語がとても好きです。日本語は助詞やら活用語尾やらがゴテゴテくっついてしまいますが、中国語はこんなにも簡潔な表現で、こんなにも鮮やかに情景を表現することができるのです。こういう表現を自分では自在に操ることができなくてとても悔しいです。

これをどうすれば的確な日本語に訳せるか、随分思い悩みました。結局結論は出ていません。こんなステキな中国語は、どうやっても日本語に訳せません。意味は伝えられても、こんなに簡潔なのに豊かな表現は、探し当てられませんでした。

結局僕の訳は「眺めて回る」にしてしまいました。ステキなナレーションを聞きながらこの字幕を見ると、まぁそれなりで、悪くはないのですが、結局日本語としては一ひねりもなく、つまらない訳だと思っています。

どなたか、ステキな訳を教えてくださいませんか?(笑)

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