第11回 「咱们」と「我们」

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僕は大阪外国語大学中国語学科で中国語を勉強しました。この大学では、学園祭で外国語劇を上演します。その中でも中国語劇は毎年エントリーしており、かなり本格的にやっているようです。機会があれば見に行ってみてください。

僕が現役大学生だった頃も、語劇はとても盛んでした。僕が1年生のときにやった演目は、『谁先到了重庆shuí xiān dào le chóng qìng』という老舍(lăo shě)の作品でした。抗日戦争時代の話なのですが、この中に金持ちの爺さんが出てきます。この爺さん、誰かの家に何かを話しに来て、話が終わった後、連れてきた小間使いに向かってこう言いました。

咱们走吧。zán men zŏu ba わしらは帰ろうか。

この台詞を聞いたとき、僕はおやっと思いました。皆さんはどう思いますか?

僕は、「この場合、『我们』の方がいいのでは?」と思ったのです。

「我们」と「咱们」は、いずれも「私たち」という意味ですが、使い分けがあります。辞書や文法書などに書かれている説明は、

  • 「我们」は相手を含めない。
  • 「咱们」は相手を含める。

例えばこんな感じです。

你们是上海人,nĭ men shì shàng hăi rén,
我们是北京人,wŏ men shì běi jīng rén,
咱们都是中国人。zán men dōu shì zhōng guó rén.
(君たちは上海人で、僕たちは北京人、僕たちみんな中国人。)

お分かりでしょうか。「我们」は「北京人」であり、「上海人」である「你们」を含みませんが、「咱们」は「中国人」ですから「上海人」である「你们」も含むわけですね。

つまり、Aさん、Bさん、Cさんの3人が一緒にいて、AさんがCさんと別れてBさんと2人でどこかへ行く場合、AさんはBさんに

「我们走吧。wŏ men zŏu ba」(じゃぁ俺たちは行こうか)

といわなければならないと思っていました。なぜならこの「俺たち」はCさんを含まないからです。

上にご紹介した『谁先到了重庆』では、金持ち爺さんがAさん、小間使いがBさんにあたります。2人はCさんを訪ね、ひとしきり喋った後、帰って行くのですが、その時に

「我们走吧。wŏ men zŏu ba」

ではなく

「咱们走吧。zán men zŏu ba」

と言っているのです。これはなぜなのでしょうか。

以下、伊藤の仮説です。

「我们」が「相手を含まない」ということは、常に「我们」ではない人が意識されているはずです。「お前たちではなくて、俺たち」という含意があると思うのです。そういう含意のない時はわざわざ「我们」とは言わないような気がします。

「咱们」は、そこまで相手を排除していないように思います。相手に対しても多少の仲間意識がある場合、とでもいいますか…。

例えば、中華人民共和国国歌にこんな歌詞があります。

把我们的血肉筑成我们新的长城。
bă wŏ men de xuè ròu zhù chéng wŏ men xīn de cháng chéng

翻訳

我らの血と肉で新たな長城を築こう。

この場合の「我们」を「咱们」と言い換えることは難しいと思います。みんなで仲良く共同作業という能天気な雰囲気ではありませんからね。はっきりと「敵」を意識していると思います。

逆に、相手が含まれていなくても相手に対して仲間意識のようなものがある場合は「咱们」を使っているように感じます。例えば、

朝鲜现在的状况跟咱们文化大革命的时候一样。
cháo xiăn xiàn zài de zhuàng kuàng gēn zán men wén huà dà gé mìng de shí hou yí yàng.

翻訳

朝鮮の現在の状況は、我々の文化大革命の頃と同じだ。

ここの「咱们」には「朝鲜」は含まれていませんが、「我们」ではなく「咱们」が使われています。しかし、文脈から考えても、「朝鲜」を敵視しているようには感じられません。むしろ「昔の自分たちと同じだ」という仲間意識のようなものが多少感じられます。だから「咱们」を使っているのではないかと思うのです。

言う人の意識の問題だと思うので大変微妙ですが、大体こんな感じで使い分けられているように最近思っています。

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