第8回 反対語

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先日僕の生徒さんが「这封信是我妹妹寄来的。」という文を「この手紙は私の妹が寄こしたものです。」と訳しました。大正解です。「寄jì」という動詞(「手紙を出す」等)に「来」という方向補語がくっついて「手紙が妹から自分に移動する」という方向が明示されているので、これを「寄こす」と訳すのは大変素晴らしいです。

日本語の動詞には方向性が含まれているものがあります。自分を中心にして、自分に近づくか、遠ざかるか、という方向性です。
例えば:

  • 「くれる」と「あげる」
  • 「借りる」と「貸す」
  • 「寄こす」と「寄せる」

…等々

中国語の動詞には、一般にはこのような「自分を中心とする方向性」は含まれていません。だから、「给gěi」といったような動作の対象を表す前置詞を使うか方向補語を使うなどして動作の方向を補うわけです。

例えば、

  • 「僕はこれをあげる。」は
    我给你这个。
    wŏ gěi nĭ zhèi ge
  • 反対に「彼がこれをくれた」は
    他给我这个。
    tā gěi wŏ zhèi ge
  • 「彼に金を借りる」は
    我跟他借钱。
    wŏ gēn tā jiè qián
  • 「彼に金を貸す」は
    我把钱借给他。
    wŏ bă qián jiè gěi tā

という感じ。「あげる」も「くれる」も「給」という動詞を使っています。「借りる」も「貸す」も「借」という動詞を使っています。つまり、動詞そのものは方向性を明示しないというわけです。お分かりでしょうか。

つまり、日本語は「自分」が中心で、常に「自分の目」で動作を見つめているような気がしますが、中国語は「客観的な目」で動作を見つめているように思います。

だから、「伊藤さん、電話だよ〜」と呼ばれたら、日本だったら「今行きます!」と言いますが、中国語では普通は「来了〜!」と叫びます。日本語では常に自分が中心なので、「中心である自分」が「電話のある目的地」に「行く」わけですね。対照的に中国語では、客観的に見て注目されるべきは「電話」でありますから、その方向へ「自分」が近づいていくわけ。つまり、「中心である電話」から見ると、「自分」が「来た」ことになります。

同じ漢字を使う言語ではありますが、こんなにも違うのですね。本当に不思議で、面白いです。

ところで、僕が大学の2年生だったとき、会話の授業の先生(中国人)がペーパーテストを僕たちに出しました。色々な問題があったのですが、その中に、「次の言葉の反対語を書きなさい」という問題が出ていました。

どんな単語が出ていたか、ほとんど覚えていませんが、1つだけ印象的だったものを覚えています。

それは、「借」という単語。

「借りる」の反対語って、何だと思いますか?日本語ネイティブスピーカーであれば、多くの人は多分「貸す」だと思うでしょう?

しかし、上でも述べましたように、「借りる」も「貸す」も、普通は「借jiè」という動詞を使って表します。

ですから僕は、「あ、この問題はヒッカケ問題だ。『借』の反対語は『借』でいいに違いない!」と、自信満々に「借」という字を解答欄に書きました。他の同学たちも「借」と書くか、空欄という感じだったようなのですが、なんと、これは不正解。つまり、クラス全員不正解(苦笑)。

では、一体何が正解なのか。皆さん、分かりますか?僕はこの答えを聞いたとき、まさに目からうろこがポロポロと落ちるのを感じました。

答えは、「还huán」(返す)でした。

恥ずかしながら僕は、「返す」という答えを全く思いつかなかったもので・・(笑)。

日本語と中国語って、発想からして全く違うのですねぇ。

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